SchuhBonz GmbH
  靴工房一歩一歩公司とは?


 最近、ドイツ製の既製の健康靴整形(外科)と称して販売している一部の靴店が存在する。しかし本当の整形(外科を取っても意味は同じ)靴というのは、あくまで採寸・採型をもとにおこした木型から製作するオーダーメイドの整形外科的技術に基づいた靴であり、SchuhBonz(シューボンズ)はそのオーダーメイド整形外科靴専門店である。
しかしチョット変な名前かと思う。Schuhとはドイツ語で靴、Bonz(正確にはBonze、語呂がよいので勝手に語尾の‘e‘ を取った。メジャーリーガーのバリー・ボンズとは一切関係無し)とは仏教僧、または軽蔑的に会社のボスを意味する。仏教徒ではないけど東洋人である私は仏教僧の意味を取りたい。ありていにいえば靴坊主である。GmbHとはドイツ語で有限会社という意味である。
一生靴修行、初心忘れるべからずと言う気持ち。整形外科靴を作ることは私にニンゲンとはどういうイキモノであるか教えてくれる最高の先生である。日本人であってもドイツ人であっても靴を履いて歩くことはイキモノという観点から見れば全く同じである。だからこそ私は靴を学ぶ一人の修行僧でありたい。また、
靴工房一歩一歩公司クツコウボウイープーイープーコンスと読む。中国語と日本語のチャンポンであるが、21世紀は中国の世紀だからである。12億の民が住む中国にも支店を出す予定など無く、ただのシャレ。本当は我々(といっても私一人だが)の作った靴で、2本の足で、ゆっくりでもいいからボチボチ、一歩一歩(それは私自身も、店も)、歩いてもらえたらうれしいと言うこと。実は、ヲヤヂが私のことをウチのボーズ(坊主)としょっちゅう言っている。そこで靴坊主SchuhBonzと言う名前に決定したのだ。
SchuhBonz
がトレードマーク。ホップ・ステップジャンプ見習・職人名人というように成長出来たらという願望と深い意味(そー深くもないか)があるから。そーゆー意味で決してイノシシではない。

 
人間のみならず、いかなる動物 (東西イノシシ対決、右の独逸イノシシの方が断然わいるど。神戸イノシシは目に哀愁。あくまで動物の一例として)でも自分の足で歩けなくなったら、まさしく座して死を待つのみ。だからこそお客様自身の足で立って歩く事を大切にしたい。それが自立した、より良いQOL(クオリティー オブ ライフ)の基本であると考えています。そのための品質の高い靴を作りたい。それではSchuhBonzの考える品質とは何か?我々の靴を履いてくださるお客様が、整形外科的に正しく、心地よく歩けるだけでなく、思わず磨きたくなるような、愛されるデザインや手触りの靴。そういう歩くことが楽しくなるを履いて、笑って暮らすこと。

             
と こ ろ で・・・・・・

 
SchuhBonzは店舗予定地として(有)松本義肢の2階を改造して機械室とアッパー縫製室から成る靴製作工房を作る予定。来年秋から木型製作から納品まで一貫生産できるはず。現在は写真の様に何も無いただのタオル乾しか、物置きのような殺風景な部屋である。しかも窓の下にはJRのローカル線が、頭上には新幹線がビュンビュン走っており、そのたびに工場全体が揺れるのもまたよろし。まだ工房も材料も無いのにこのようなホームページを公開することが、やや原野商法的と言われれば、それもそうかも知れぬが問題ないだろう。ただの予告編にイチイチめくじら立てるような野暮でオトナゲない人はいまい。
                    
クリックで詳細な地図、駐車場完備・頭上には新幹線>
SchuhBonzは新幹線のガード下(なんだかそれだけでも、ほとんど3K=ブルースだが・・・)にあります。お車で国道2号線方面からお越しになる場合は、荒神陸橋を渡ってスグ東区役所脇の路地へ右折。そのまま直行し、新幹線のガードに突き当たったら左折。そのまま右手に新幹線のガードを見ながら約1km直進するとマルエム自動車の前、右側の新幹線のガード下(有)松本義肢の2階です。駐車場完備でお待ちしております。
 バスでお越しの場合は、広島駅南口の友愛市場横のバスのりばから出ている府中線広電青バス府中ニュータウン・山田・永田・温品4丁目行きのいずれかに乗り、曙町(江川皮膚科前)で下車して下さい。ファミリーマート横の路地を入って新幹線のガードに突き当たったら右に約50m。マルエム自動車の前、左側の新幹線のガード下の(有)松本義肢の2階です。

   

夕方仕事が終わって、線路を行き交うローカル電車を見ながら屋根の上に置いてある椅子に座ってビールを飲む。旨い。この屋根は夏はビヤガーデン兼、応接間兼、縁側将棋である。しかしスレートを留めているボルトが飛び出していてチョット危険

再考 SchuhBonz 的現状分析&整形外科靴職人宣言

日本におけるドイツ式整形外科靴を取り巻く喜劇的にお寒い現状
捻じれちっまった素晴らしきドイツ式整形外科靴技術
泣いている
誉れ高きドイツ式整形外科靴技術は
決して靴を売るための道具ではない
!!!

これ以下の記事は本当は書きたくありませんでした。餅屋という、あまりにも当たり前の事が出来ていません。私は非常に恥ずかしい。この雑文を消去できる日がくることを願っています。日本の整形外科靴の歴史は始まったばかりですが、我々日本人はすでにドイツ人から笑われています。IVO(国際整形外科靴製作技術者連盟)東京大会が開催されたからこそ敢えて書きます。

最近ドイツの整形外科靴マイスターの方法とか、一部の健康靴販売店の方法、日本の義肢装具士の方法などいろいろ耳にします。しかし一概に日本が劣ってドイツ方式が優れているとは言えません。また、世界的にもドイツの整形外科靴マイスターの方法が基準ではありません。要は
製作者の発想次第なのです。したがい優秀な職人はそれぞれに優れたコンセプトとノウハウを持っています。そういう名人級マイスターを数多く育成するマイスター制度に裏打ちされた、長い伝統を持つドイツの方式は尊敬できるし素晴らしいが、それは何百年もかけて培われた職人教育制度です。何百年も前から靴を履いていたドイツ人は中世から靴による足のトラブルが絶えず発生し遂には整形外科靴専門の職人まで生み出しましたが、一方日本では靴は軍人や役人、上流階級といった限られた人々のものだった。靴を日本人のほぼ全員が履くようになったのは戦後から(ドイツでも貧しい人々は戦後も満足な靴は履けなかった。安価な靴が市場に溢れるのは接着剤の性能が格段に向上しセメント式の靴が普及するようになってから。言いたいのは靴を履く習慣として)で、ようやく半世紀です。お金持ちになった成金の我々は高級外車に乗り、ヨーロッパの高価な一流ブランドに身を固めながら紐靴をユルユルにして(靴紐の意味とその締め方さえ知らない、なんでもカネで解決しようとする田舎者。だからそういう一流ブランドから足元見られ、ツケ込まれている)履き、得意満面でそういう高級ブランド靴の踵(月型芯)を踏み潰すような、靴の履き方も知らぬみっともない大人が大手を振って歩いています。そのような靴が泣くような履き方しか出来ない、まだ靴を履くことに関しては子供のような国なのです。国民の民度としての靴の接し方がこのレベルです。文明開化以来日本人にとって未だに靴とは草履のような日本伝統の履物の一種であって本来のヨーロッパ的な靴ではないのかもしれません。日本人は靴をその履き方において未消化のままです。本家ドイツでさえこの整形外科靴職人がマイスター制度に組み込まれたのは、次世界大戦後のことですが、もちろんそれ以にもすでに整形外科靴という特殊靴(写真は左13cmの脚長差補正)が存在し、製作されていました。しかし、それが必要であるとする国民的要求と認識が高まる以前のカオス的状態であり、そういう職業が未分化あったため、靴製作に関して既にプロであった靴マイスターや靴職人が整形外科靴作っていました。整形外科靴という特殊な靴が普通の靴から派生し進化したというその歴史的背景が日本にはありません。とすれば、一部の人間の勝手な思惑で、その靴文化と歴史的背景の違いに目をつむり、そもそも、社会制度(国家資格制度)と国民性の異なる日本に優秀なドイツの整形外科靴マイスター制度がないといって、これを導入しようとするのは、全く本末転倒であり時期尚早というものです。導入時にボタンの掛け違えをしてしまったドイツ式整形外科靴技術に、当然のように妙な捻じれ現象が起きています。それは日本では義肢装具士国家資格が必要な医療行為にあたる整形外科靴製作や足底板、既製靴の整形外科的調整(日本の靴の歴史的背景を知らないドイツ人整形外科靴職人の多くは、日本では整形外科靴を義肢装具士が製作するという現象が理解できないが、それはドイツ人が勉強不足)を一部の無国家資格者の健康靴販売店で行うようになっています。もし、そうするのであれば、全て顧客の自費で製作しなくてはなりません。なぜならば医療保険を使っての整形外科靴の製作は医療職の国家資格である義肢装具士に承認された行為であるためです。自費であるがゆえに相当のリスク(法的、技術的、医学的問題など)を背負う覚悟が必要です。その覚悟があれば立派なものです。どのような結果を招いても、それは御本人がキッチリ責任をとられるわけですから私のような無粋な第三者がとやかく言うのは野暮というものです。しかしそれでも私は無国家資格者が行っている医師の診断無き整形外科的医療行為には反対します。それは医師法に違反する可能性の高い危険行為であると同時に職業が違うからです。彼らは医療職でも義肢装具士(数名ではあるが健康靴販売業者の御子息の中には義肢装具士が存在します。しかしどうして施術者であり経営者である彼らの両親が義肢装具士国家資格を取得しないのか?このことが私には理解できませんが、端的にこの問題を象徴しています)でも、靴職人でもありませんし、ましてやドイツ整形外科靴マイスターを取得したわけでもない。彼らは靴販売業者なのです。自分達もそのように思っているから、義肢装具士国家資格を取得しないのではないですか?ご自分で国家資格を取得できず忸怩たる思いの方もいらっしゃるでしょう。また、義肢装具士を確保できたお店は、国家資格者を獲得したという意味では医療職として承認されたわけですから質的に格段の差です。合法ですが、お客様から小額でも料金を頂戴しているのでしたら、プロ(無国家資格者であってもお客様から見れば立派なプロ)として言い訳は通用しません。それは私も同じ事で、仕事の上では合法であれば整形外科靴を作れなくても、それでOKと言うわけにはまいりません。代金を支払うからには、当然お客様は施術者の技術力を問うからです。従い、プロとしてはどんなに難易度の高い患者様でも代金を頂戴する限りには、その要求に応える義務があります。そのようなケースにどのような対応がなされているか第三者である私の関知するところではありません。しかし前述したように健康靴販売店とはあくまで一販売業種であって医療職ではありません。医療職である義肢装具士(整形外科靴職人)とは完全に異なる資格の、異なる職業です。従い単純にドイツから整形外科靴マイスターや、整形外科靴ゲゼレを呼んできてセミナー受講して、高価なドイツ製の機械や材料を購入し整形外科靴のプロを自称しても解決する問題ではありません。努力の方向が間違っていると言えます。なぜなら日本で合法的な整形外科靴のプロとして仕事をするのなら、最低でも義肢装具士国家資格が必要です。従い整形外科靴マイスターを定期的に呼んで、整形外科靴製作や、整形外科的調整を行っている健康靴販売店がありますが、・・・・・・ですね。整形外科靴製作、足底板インナーシューは患者に接触し採型・採寸する訳で、医療行為にあたり、医師、看護婦、理学療法士、義肢装具士など限られた医療職の国家資格取得者にのみ許可されています。更に言えば義肢装具士は医師の指導のもとでのみ患者に義肢装具や整形外科靴の製作が可能なのです。法律で定められている以上それを満たさなければプロとしては仕事ができないことは自明の理ですね。自動車を運転するのに自動車運転免許証と言う国家資格が必要であることを理解できるのなら非常にわかりやすいハナシです。国家資格保有者か否かがプロアマを分ける基準なのですから敷居は高くて当たり前。これはどこの国でも当たり前(勿論本場ドイツでも)のことですが、日本の整形外科靴の分野では当たり前でないところにこの根深い問題の根源があります。要するに野放し状態にあるからです。自動車の無免許運転の取り締まりが難しいのと同様に、無免許の整形外科靴製作者の場合も困難を極める事は理解できます。無免許であるために罰則規定が在りません。見つからなければ何年でも無免許運転が可能です。そのため、彼らの品性に問うしかありません。品性に問うしかないということは、もうすでに行き着くところまで行っているということです。なぜならば免許なんてクソッ食らえ、道路交通法(義肢装具士法)なんてだね(お下劣ですね)と言われているのと結果的には同じなのです。しかし相手の品性の問題とはいえ、もちろん野放しにした側、つまり厚生省や、医師、私を含めたプロ意識に欠ける義肢装具士の責任は更に重いといえます。問題は無国家資格者の行う医師の診断の無い医療行為を結果的に野放し(であるからといって決して認められているわけではない)にしてしまったことです。そこを直視しなければなりません。なぜならば不利益を被るのは常に顧客(日本に住み、税金を支払っている被保険者)だからです。もし仮に無国家資格者が製作した整形外科靴により健康被害が発生したとします。もちろん一番つらいのは被害を受けた本人です。全額自費で靴代金支払った上に更に治療費です。泣きっ面に蜂です。とはいえ、健康保険を使用する限り本人が保険で作り直す靴や治療費を全額自費で支払うことはありません。自己負担分以外の一部はその他我々納税者の税金や保険が使われるわけです。もちろんそんな余分なことに自分達が労働して納税した血税を使われても良いと思う国民など居るはずがありません。それでも私には決して一部の無資格健康靴販売店に整形外科的仕事を止めさせる権利などありません。なぜなら彼らは今は無免許だから。
 私は整形外科靴製作を生業とする職人として、ただ単に義肢装具士国家資格を取得して合法的に、正々堂々と仕事をしてもらいたいだけです。いくら日本の靴の問題を憂い、卓越した技術を身に付け、真剣に営業されていても、プロとして義肢装具士を取得していなければ、違法とされても、なんら申し開きできません。それでもいいのですか?私を含め一部の無国家資格者が行っているドイツ式整形外科靴技術は、本当に
素晴らしい技術です。しかし、普通の靴の製作に解剖学バイオメカニクス的発想病理学的発想(それが整形外科的矯正や調整の設計図。その意味で日本ではその専門教育を受けた義肢装具士が製作することは全く理にかなっています)が加わった技術であり非常に奥が深い。毎日自分の手で靴を作ってもマイスターレベルの技術を修得するのには軽〜く10はかかります。いかなる手工業マイスターでもこれは同じ。ドイツでは昨日まで靴を売っていた者が、今日から靴職人を名乗れるような社会ではありません。年半の見習のあと職人(ゲゼレ)国家試験を突破し、最低職人(ゲゼレ)としての実務経験を積み、やっとマイスター養成校に入学が許されます。そこで厳しい指導を受けた後、マイスター国家試験を突破してはじめてマイスターを名乗れるのです。しかし、どんなに綺麗な仕事は出来て、才能があってもマイスターになれずに泣いている職人は掃いて捨てるほどいます。私もこの目で、その時には理不尽といえる現実(仕事が出来なくてもマイスターはマイスター。マイスター制度も当然矛盾アリ)を見てきました。全見習の中でマイスターになれるのはたったの。だからこそ厳しい競争のなかで心血を注いで獲得した技術はイノチです。はっきり言って、靴販売業の片手間に週末マイスターセミナーに参加したからといってマスターできるようなお手軽なシロモノではありません。そういう伝統ある尊敬すべき技術を非合法的で矮小なものに捻じ曲げ、貶めてもよいのですか。もっと誇りを持ってください。だからなおさらプロとしての専門家養成教育が重要になるのです。日本の義肢装具士養成校の授業はマイスターに比べれば、長い人生のたったです。その短期間(ホントに短い。内容を考えたら医学部での大学教育でも決しておかしくない)義肢装具士養成校に我慢して通学し、国家試験を突破すればよことです。本当に分かり易い。その、例えば理想的には神戸医療福祉専門学校三田校整形外科靴コース(たったの2年コース、現在日本で最高の整形外科靴専門コース)や健康靴販売店の企画するマイスターセミナーを受講してスキルアップ(私個人は、健康靴販売店は医療職とは考えないので、彼らを対象にしたスキルアップセミナーを企画しないを図ればよいのですから。私のようにすきこのんで、言葉のわからないドイツで不自由でキツイ思いしなくてもいいのです。義肢装具士国家資格保有者ならば誰でも通ってきた道です。それもクリアできなければドイツ式整形外科靴技術修得など夢のまた夢。ただしこれは整形外科靴製作に関する業務のことであり、一部健康靴販売店で行われている、日本では皮膚科の医師の治療領域に踏み込む可能性(根本的には、自分自身で切れない爪という時点ですでに医療的に大きな問題を孕んでいると考えてよい)の高い医療的フットケア(整形外科靴関連業務とセットで行っている販売店も多数。というかそれが主流)に関しては私は非常な危惧を感じる。本場のドイツでも医療的フットケアの領域に踏み込まないOSMの方が多いのでは?その理由は危険すぎることと、本業の整形外科靴製作が忙しくそこまで手がまわらない。そのため医療的フットケアに関してはそのスペシャリストと契約し、リスクの回避を図るOSMも多い。
 ドイツ人マイスターから技術を学ぶのは大変結構(そういう私が一番どっぷり・・・・・・)ですが、我々日本人が日本の捻じれた現状を作り出したのです。だからこそ我々が自分自身の手で解決しなくては、今後もドイツ人から笑われ続け、しかも当然尊敬されません。何事も学ぶことは模倣から始まりますが、しかし、スタートでボタンの掛け違いをしてしまったドイツ式整形外科靴の技術は捻じれたまま、いつまでたっても精神的には泥沼のドイツの植民地状態を抜け出せません。この捻じれを整形外科的に矯正しなければ正しい知識と技術が身につくわけがありません。整形外科、すなはちオートペディのもともとの語源は、曲がった姿勢正しい肢位矯正する(写真は外反母趾矯正の整形外科的あくまでイメージ)という意味ですから、それを看板に掲げる我々はまず捻じれて掛け違えたボタンを掛け直して、出直さなくてはなりません。今のままでは看板に偽りありになってしまいます。果たしてそれでよいのですか。少なくとも私は嫌だ。これはの問題であるだけに、私はドイツで修行した日本人の整形外科靴職人のひとりとして、非常にずかしい問題です。これではバイエルンの師匠達や友人達に対して申し訳が立たない。
  この捻じれ現象は、前述のごとく、決して一部の健康靴販売店のみが悪いのではありません。私を含めた
プロ意識に欠ける義肢装具士五十歩百歩と言えます。なぜならば自分達の仕事の一部が無国家資格者により侵害されてきたにもかかわらず、それを放置し続けたからです。もちろんこのHP公開前の私も問題意識には目覚めていても何の行動も執らなかったという意味では完全に同罪です。現在はこの問題に目覚めた義肢装具士が学会やHPなどで問題提起し、事の重大さに気が付いた健康靴販売店にも義肢装具士が雇用されるようになり、状況は随分と好転してきています。しかし、整形外科靴のプロたるわれわれ義肢装具士が日本人の生活に根ざした整形外科靴を作ってきたのでしょうか?作ってはいますが、私の知る限られた数件の業者さんだけです。あまりにも少数派です。また、お客様(患者さん)に正しい靴の履き方を教えてきましたか?装具を製作したあと、装具を着けたうえから履ける靴を探して下さいといって靴に関して逃げを打ってきたのではないですか?靴が履けるような装具なら、問題はないのですか?今までそういった基本的な事を怠ってきた(または勉強が足りなかった)のではないでしょうか。現在一部の健康靴専門店で足底板製作や既製靴の整形外科的調整などの医療行為、または医療行為が蔓延していますが、そういう異常事態をひき起こしたのは、実はわれわれの義肢装具士という国家資格の上にあぐらをかいた、奢り不勉強が原因ではありませんか?もしそうであるなら誠に嘆かわしい。
                    
SchuhBonz ファナティック整形外科靴職人宣言:
私はこれ以上我慢ならぬ       


 持病の癇癪ダマが炸裂寸前(もうしてますね)ですが、冷静にハナシを続けます。整形外科靴のプロたる我々義肢装具士は、靴を甘く見て靴に足元をすくわれています。もう我慢ができません。だから私はドイツで修行した技術を基本に、日本で修得した義肢・装具の技術を融合させた(といって義肢・装具的な靴を作るのではなく、その前提として、としてまっとうな)日本における本来の意味の整形外科靴を作り、その技術の啓蒙(モチロン義肢装具士などの医療職が対象)をしてゆきたいと考えます。
 最初は
ドイツ式の模倣で良いんです。よいお手本がなくてどうしてよい靴が作れますか?天才でもない限りお手本なくしてオリジナルな(矛盾した言い方だが多くの発明はなんらかのモチーフを見てインスパイヤされたもの)ものは作れません。だから私のような普通の人間は模倣することこそが修行なのです。だから修行中に模倣することは全く恥ずかしいことではない。徹底的に模倣(それがマイスターの言う通りのモノを毎日作り、カタチを憶える事に終始する見習リエレンゲして、それを消化吸収(見習時代に憶えたカタチを応用することができるようになる職人ゲゼレ)し自分のものにしたら、さらに究極的にはドイツ式打破(自分の発想でモノを作る名人級親方名人級マイスター俺式その優れた俺式技術で見習いを教育できる名人級マイスターのもとに向学心の高いよい弟子が集まり、製品のクオリティーが向上する。一人の名人が死ねば、その技術が失われると言う意味で技術伝達はイノチDNAの伝達と同義バイエルンの師匠達はそのマイスター制度の真髄を骨の髄まで知り尽くしている。ほんの少し前の日本のも同様だからこそ日本ではイノチに匹敵する技術は一子相伝免許皆伝だった。良し悪しではなく日本の職人の世界の背骨を支えた徒弟制度の下では、教えてもらえないからこそ技術は盗むものだった)しなければなりません。なぜならば、模倣し、消化・吸収したものを破壊し、そのうえで精神にまで昇華しなくてはある技術をマスターしたことにはなりません。なぜならば、その職人ならではの味わいのあるモノを作れないからです。バイエルンの師匠達はその状態を「アレス イン グリッフ ”Alles im Griff”」と教えてくれました。つまり「全ての中に在る」と言う意味です。アタマで理屈をコネクリ廻したものでなく、で覚え、で考え、が作る。なんと高度に自動化されたでしょうか。言葉が空しくなるような直接性(具体性)の究極的状態です。だから全て手の中に在るのです。あとはその手に工具を握り、材料を手にするだけです。本当の意味の日本人の生活に根ざした整形外科靴はその段階に突入すれば自ずと完成します。私がドイツ式の整形外科靴製作技術を学ぶ目的はそこにあるのです。なぜなら私は日本人だから。おそらく何十年もかかるイバラの道(どんな道でも極めることは、すなはちイバラ)でしょう。しかしそれが出来たときに素晴らしい技術を教えてくれたバイエルンの師匠たちにやっと恩返しが出来るのです。ドイツの技術が素晴らしいと感じ、その技術を尊敬するなら、いっちょう本家ドイツ人がうなるようなスルドイ出来の靴を作ってみようじゃないですか。そのときこそ技術的植民地状態から抜け出して、ドイツへと繋がる長い臍の緒を切ることができるのです。これはマイスター取得後の次の私の終わり無き大きな宿題です。それには毎日楽しみながら、靴を作りつづければよいのです。こんな楽しい宿題は他にはないですね。ただそれだけのことです。楽しいからこそ、その仕事を愛し、それゆえにその結果として仕事のクオリティーが高まるからです。なせか?簡単なことです。自分の仕事を愛するがゆえに、他人から見ればどうでもいいところまで気を配るようになるのです。だから本人は少しも苦しくありません。巻き込まれる周りがツライと言う意見もあるが、そんなことは私にとっては喝破

          <古きよきフェラーリのル・マンレーサーのツモリ>

エンッツオ・フェラーリは無様なエンジンを組んでしまった組立工にこう言いました。

      「愛の無いエンジンは回らない」


素晴らしい!!!なんとモノずくりの本質を突く言葉でしょうか。愛が無くてどうしてあれほどまでに官能的な自動車が造れますか。愛のこもっていない可愛そうなエンジンをフェラーリとして工場のラインから恥ずかしくて送り出せますか?そんなエンジンがお客様に愛されると思いますか?工作精度がエンッツオの頃から桁違いに上がった現在では手組みよりもロボットで組んだエンジンの方が精度が高いが、そんなことをぶっ飛ばす程彼の言葉には一点の曇りも迷いありません。エンッツオからそう言われたらも一言もない。気合の問題です。○HKのプロジェクトXを観るまでもなく、モノを作るという一点においてフェラーリも整形外科靴も全く同じ。いかなるモノ作りも、その基本的姿勢は愛情プライド品性であり、それは必ず作り出すモノから滲み出ます。そしてお客様はその気配を正確に嗅ぎ分けます。だから非常に厳しい。

       
好きこそ物の上手なれ」

私はこの日本の古い言葉に、ドイツ的整形外科靴技術の捻じれの根源矯正するヒントが隠されていると思います。皆さん、どうせヤルなら「ここまでヤルか」と言ってもらえるシャープな仕事をしましょうよ。そうでなければこの仕事を選んだ意味が無い。名は惜しむものです。プロとして義肢装具士の名が泣くような恥ずかしく、無様な仕事はしたくありません。ただし、苦しんで造ったはいけません。お客様にその産みの苦しみと息苦しさ、押し付けがましさが伝わります。そういう靴はSchuhBonz 的にはクオリティーが低いわけです。そんな無残で痛ましい靴を履きたいですか?エンッツオならきっと履かないだろう。

                       
                                                         靴坊


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